楊貴妃伝説

楊貴妃の里

龍伏山 二尊院

楊貴妃が漂着し、祀られた楊貴妃伝説のパワースポット!
五輪塔(県指定文化財) 「楊貴妃の墓」のお参りは、「安産・子宝・縁結び」美麗な子どもを授かるご利益ありと、全国から参拝者が訪れます。その由来は、楊貴妃伝説にあり!

世界に二つの楊貴妃像

お墓がある二尊院と中国の陝西省馬嵬坡の楊貴妃像は、共に没年齢38歳にあやかり、高さ3.8mの「漢白玉」大理石製です。台座は2.5メートル、頭にボタンの花冠を載せ、ハスの花の胸飾りを付けています。制作:中国・西安美術学院

楊貴妃伝説1

楊貴妃は生きていた。

唐の玄宗皇帝の愛妃楊貴妃は、安禄山の乱により処刑されたはずだった。しかし、嘆き悲しむ玄宗皇帝に心打たれた近衛隊長の陳元礼が、仏堂で首を絞め殺したと見せかけ逃がしていた。その後、侍女と共に小舟に乗った楊貴妃は、天平勝宝八年(七五六)七月、向津具半島の唐渡口(とうどぐち)に漂着したが、まもなく亡くなりました。里人たちが寄り合い、当寺院の境内に埋葬したそうです。

楊貴妃伝説2

玄宗皇帝の贈り物 二尊仏

長安にいた玄宗皇帝は、夢で幾夜も「日本に漂着して死去した。」と現れ続ける楊貴妃に、愛情が溢れ出し追善供養の為として唐朝でも秘蔵の霊仏、阿弥陀・釈迦の二尊仏と十三重の大宝塔を届けるよう命じました。その後、日本に渡海した白馬将軍陳安は、漂着地が分からない為、二尊仏を京都のお寺に預けました。その後、日本に二つと無い二尊仏に大衆が集まるうちに、楊貴妃の墓が、長門国のお寺(現在の二尊院:山口県長門市油谷向津具)にある事が明らかになりました。

楊貴妃伝説3

安産・子宝・縁結・美人になる二尊院

朝廷から二尊仏を移す勅命が出た後、朝廷に京のお寺が二尊仏を京に残す嘆願をした為、朝廷は名仏師に命じて同じ二尊仏を彫刻し阿弥陀・釈迦の一躰ずつを分け合い安置することになりました。こうして、朝廷より二尊院という院号を賜り「皇城鎮護・天下泰平・国家安全・五穀豊穣の祈願怠慢なく修行すべし。」と勅命を受けたと伝えられ、いつともなく二尊院にお参りすると安産・子宝・縁結のご利益があり美人になると信仰を集めるようになりました。中央にある大きな五輪塔が楊貴妃、その両脇にあるのが侍女のお墓と伝えられています。

貴妃の里 

~日中友好のシンボルと地域おこしの願い~

1993年、山口県長門市(当時は油谷町)では、中国・玄宗皇帝の妃、楊貴妃が国を逃れて流れ着いた伝説を基に「楊貴妃の里づくり」を進め、長門市油谷向津具久津シンボルとなる楊貴妃像をはじめ、楊貴妃の墓のある二尊院周辺一・五ヘクタールを整備しました。中国風休憩所、あずまや、中国風トイレ、ミニ華清池、楊貴妃桜の散策路など「日中友好のシンボルとともに地域おこしを願ってつくられました。完成時、山口県知事、章金樹・駐日中国大使館公使参事官、油谷町長ら関係者、町民約二千人が集って、盛大な落成式が行われました。