楊貴妃炎の祭典は、山口県長門市油谷向津具(むかつく)で開催される地域活性化と多文化共生のお祭りです。

楊貴妃伝説

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山口県長門市油谷向津具(むかつく)に眠る楊貴妃伝説

legend04時は、天平勝宝八年(七五六)七月、唐の玄宗皇帝の愛妃楊貴妃が小舟に乗って向津具半島の唐渡口(とうどぐち)という入り江に漂着しました。

話によれば「安禄山の乱により処刑されるところを玄宗皇帝があまりに嘆き悲しむので、近衛隊長の陳元礼が心を打たれ、仏堂で首を絞め殺したと見せかけ実は、部下に命じて空艫舟(うつろぶね)を作り、これに一緒に侍女を乗せ数日の食料を入れて逃がされた。」との事でした。しかし、まもなく亡くなったので里人たちが寄り合い、当寺院の境内に埋葬したそうです。

一方、玄宗皇帝は楊貴妃への恋慕が断ち切れないでいると、楊貴妃の霊魂が長安まで往来し幾夜も続けて夢に現れ「日本に漂着して死去した。」と告げるので、愛情が溢れ出し追善供養の為として唐朝でも秘蔵の霊仏、阿弥陀・釈迦の二尊仏と十三重の大宝塔を届けるよう命じます。

白馬将軍陳安が日本に渡海したものの、いずれの地に漂着したかも分からないので京都のお寺にしばらく二尊仏を預けることにしました。すると、日本に二つと無い霊仏なので大衆がひと目拝もうと集まり、霊験あらたかなことから参る人も増えるうちに、楊貴妃の墓が、長門国のお寺(現在の二尊院:山口県長門市油谷向津具)にある事が明らかになり、朝廷より二尊仏を移すよう勅命が出るのですが、京のお寺も霊仏を長門国に送るのがあまりに心残りなので朝廷に嘆願し、名仏師に命じて同じ二尊仏を彫刻し阿弥陀・釈迦の一躰ずつを分け合い安置することになりました。

legend01このときお墓も再建され中央にある大きな五輪塔が楊貴妃、その両脇にあるのが侍女のお墓と伝えられています。

阿弥陀如来・釈迦如来を通称二尊仏と呼び本尊としたので、朝廷より二尊院という院号を賜り「皇城鎮護・天下泰平・国家安全・五穀豊穣の祈願怠慢なく修行すべし。」と勅命を受けたと伝えられ、いつともなく二尊院にお参りすると安産・子宝・縁結のご利益があり美人になると信仰を集めています。

楊貴妃の里~日中友好のシンボルとともに地域おこしの拠点に~

legend021993年、山口県長門市(当時は油谷町)では、中国・玄宗皇帝の妃、楊貴妃が国を逃れて流れ着いたという伝説を基に「楊貴妃の里づくり」を進め、長門市油谷向津具久津シンボルとなる楊貴妃像を設置しました。この像は、中国・西安美術学院に制作を依頼した立像で「漢白玉」という大理石製。高さは三・八メートル、台座は二・五メートル、頭にボタンの花冠を載せ、ハスの花の胸飾りを付けています。

楊貴妃の墓のある二尊院周辺一・五ヘクタールを整備し、広場には立像のほか、中国風休憩所、あずまや、中国風トイレ、ミニ華清池、楊貴妃桜の散策路などが建設されました。当時の役場の担当者は「日中友好のシンボルとともに地域おこしの拠点にしたい」と、語っています。

完成時には、山口県知事、章金樹・駐日中国大使館公使参事官、油谷町長ら関係者、町民約二千人が集って、盛大な落成式が行われたそうです。

燃え盛る炎とともに蘇える楊貴妃伝説

legend03楊貴妃炎の祭典は、長門市の地域おこしNPO「フューチャー長門」が、かつて行われていた文化芸能「楊貴妃の火渡り」を復活させ、祭りとして地域内外のみなさまに親しんでいただけるよう平成23年から始まったものです。

最大の見所である火渡りでは、桧葉に覆われたやぐらがごうごうと燃え盛る中、山伏たちが楊貴妃問答を繰り広げ、炎の中をくぐります。森のエネルギーを含む煙がうねりをあげ、天地のパワーとともに会場を包み込む様子はまさに圧巻。山伏の先導により、ご来場のみなさまも、火渡りにご参加いただけます。愛と美の象徴である楊貴妃とご縁を結べば、きっとその徳にあやかることができるでしょう。

 

youkihi

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